Web Novel

 

ジャイブ様より好評発売中の小説「I/O 鏡の中の少年」から続く追加エピソードです

この新たな試みは、ジャイブ編集者様のご理解と、著者・健部氏のご協力によって実現しました。
関係者各位には、改めてお礼申し上げます。

本エピソードは、ゲーム本編のフラグメント
とは異なり、穴埋めのエピソードではなく、続きものとなるお話となります。

ゲームの世界観・設定を踏襲しつつ、本編とはまったく異なるサイドストーリーを描いた「鏡の中の少年」。
それはゲーム本編を補完するお話でもあり、ある意味では追加のデフラグ処理だったともいえます。
その「鏡の中の〜」の結末より、さらにテーマを飛躍発展させた「もうひとつの結末」。
真実へ辿り着いた『少年』の取るべき行動とは……?
これは、「鏡の中の〜」の最終デフラグとなります。

(本エピソードは、I/Oゲーム本編、ならびに、「鏡の中の少年」のネタバレを含んでおりますので、
できましたら、まずはゲーム本編のプレイと、小説本編をお読みになることをお薦めします)

では、このWEBノベルによって、I/Oをより深く楽しんで頂ければ幸いです。

 

「I/O 鏡の中の少年/Reboot」

著:健部 伸明

■Cluster0■(2006.07.03掲載)
■Cluster1■(2006.07.10掲載)
■Cluster2■(2006.07.17掲載)
■Cluster3■(2006.07.24掲載)
■Cluster4■(2006.07.31掲載)

 

■Cluster0■


死を免れない生まれの者は、お前が見たあの家の中に入るに値しない。
あそこは聖なる人々のために用意された場所なのだから。
太陽も月も、あるいは昼も、その場所を治めることはなく、聖なるものが常にそこにとどまり、永遠の国に聖なる天使たちとともにいるだろう。

 ――「ユダの福音書」第45葉

 

..◎33 エレシュキガルと“少年”

 それは、まさしく楽園だった。
 ここが木陰だからかも知れないが、陽射しはあくまでも暖かく、暑すぎるようなことには決してならない。ときおり爽やかな風が通り過ぎ、今までの心の疲れを運び去っていく。
「こうしていられることが、まるで夢のよう」
 すぐ近くから、甘く優しい声が聞こえてくる。その声のトーンは、完全にリラックスしていた。
「それは、おとぎ話の結末。ふたりはいつまでもいつまでも、幸せに暮らしましたとさ」
 時が流れる感覚は希薄だ。いつ起きても、あるいはいつまどろんでも、かまわない。誰に怒られることも、せかされることもなく、自分が存在しているという事実だけを享受し、ただただそれを楽しむ。
「昔は、そんなことあるわけないって、思っていたわ。でも今、それがここにある。そして、あなたが共にいる……」
 心安らぐ波の音は、放っておけば永遠に続いていきそうだ。
 体の下には、軟らかい砂の感触。“少年”は涅槃で寝ころぶ釈迦のように“彼女”の膝に頭をあずけている。しなやかな指が、頭の後ろを撫でてくれる。
 安楽な時空が、どこまでもどこまでも広がっている。確かにこの場所には、ずっとこのまま居たくなる魔力が秘められていた。
 目を閉じる。体の中でも、心地よい波動が反響していた。戻る波、返す波、その波長が完璧にシンクロして、定常波を形作る。人間なんて、そんなものかも知れない。
 そう思った瞬間……

 まぶたの下の暗黒の世界が、爆発的な光芒とともに吹き飛んだ。自分自身がビッグ・バンになったようだ。思考は超光速で四方八方へと拡散し、あらゆる過去と全ての未来に向かって射出される。
 そして互いに何の関係もなさそうなヴィジョンが、繰り返し繰り返し訪れた。

 荒野で老衰した牡ライオンが、たったひとりで死んだ。上空で見ていたハゲワシが、待っていたとばかりに降下してきた。
 サバンナで鹿の子が、群れで襲い来るハイエナの餌食になった。
 かろうじてサナギから羽化した蝶に、カメレオンの長い舌が巻きついた。
 アリが地面を列をなして歩いている。休むことなくエサを巣穴へと運んでいる。そこに人間の子供が駆けてきて、気づくことなく十四匹踏みつぶした。
 その子の膝にある傷口では、侵入を試みるバクテリアが、白血球に呑みこまれていく。その闘いの死体は、膿となって患部に溜まっている。
 組織に侵入したウィルスは、強靱で幾何学的な外殻から遺伝子を解放し、その細胞のDNA鎖に自分を巻きつけて、強制的に複製させようとする。だが異常な複製を察知したその細胞の核は、隅々にまで自殺命令を伝達し、ウイルスに汚染されたエリアを隔離していく……

 これは夢だろうか?
 わからない……今まで起きたことだって、どこまでが夢で現実か、わかりもしない。記憶となって脳に蓄積された事実は、既にその段階でヴァーチャルなものに様相を変える。
 いや、目の前で起きている出来事だって、感覚器官からのシグナルが脳に送った幻像に過ぎない。
 とにかくひとつだけ言えるのは、自分の心のなかで何かが起こっているということだ。何かとてつもなく重大なことが。
 意識が拡大し、宇宙そのものと同化していくと同時に、自分自身が分散されてもいく。唯一なる極大でありつつも、無限の極小でもある。その過程で、まるで副作用のように、さまざまなシーンが浮かび上がってくる。

 病に倒れ、のたうちまわりながら、ただ死にたくないと涙を流す男性がいた。
 灼熱の太陽に照らされて、食べるものもなく思考停止した子供が、決してもう戻れぬ昏睡へと落ちた。表情という表情が消えていた。
 志なかばにして、山頂で凍りついた登山家が見えた。だがその顔には、笑みがへばりついていた。

 映像はいつ果てることもなく続いている。
 そこで展開されているのは、生老病死の絵巻だった。
 “少年”は、そういった情報の流れに呑みこまれないよう、必死に自我を保とうとする。だが……だとしたら自分はいったい何者なのだ?

 まぶたを開くと、すべての悪夢は消え去っていた。
 再び自分は楽園にいた。心安らぐ潮騒が、そして“彼女”の暖かさが、自分を包みこんでいた。
 ここにいれば、何も考えなくてもいいはずではなかったのか?
 ライオンは鹿を喰らわず、赤ん坊が蛇と戯れても噛まれることはない。
 老いも病いも悩みも何にもない。ただ向こうから提供される安逸な快楽に、身を任せていればいいのだ。
 だが本当に、それでいいのだろうか?
 少年は、すべての安らぎから身を引きはがすように、必死の思いで体を起こした。そして何度か頭を振って、意識をはっきりさせようとした。
「どうしたのです?」
 今の今まで自分を膝枕してくれていた“彼女”が、怪訝な表情をしていた。見えない目で、“少年”のなかの何かを見通そうとしている。
「エレシュキガル。きみはただそこに存在しているというだけで魅惑的だ」
 “少年”は、さっきまで自分の髪をなでてくれた繊細で白い指先に、手を伸ばした。そこからは、確かに暖かい体温が伝わってきた。
「まあ」
 “彼女”は照れるように、はにかんだ。
 “少年”は、“彼女”の手をポンポンと優しく二・三度叩いてから、ゆっくりと自分の手を離した。
「だが、魅惑的すぎる」
 その横顔には、少しの寂しさが宿っている。
 “彼女”もまた、何かを悟ったように、少しうつむいた。
「もう、行ってしまわれるのですね」
 それは質問ではなく、確認だった。
 “少年”は“彼女”の横顔を通して、昼と夜が共存し、波頭のきらめくこの美しい世界を眺めた。世界と“彼女”は一体化しており、いくら讃美してもしたりない。
「エレシュキガル。きみはぼくのワルキューレだったね」
 それは北欧神話における戦乙女。戦場で勇敢な男を見つけると、殺してその魂を神の国へと運ぶ。
 “少年”は砂に手を伸ばす。おそらく珊瑚のかけらだろう。まったくべとつかず、指の股から、さらさらとこぼれていく。
「ここはいいところだけど、ぼくにはもったいなさすぎる」
「……」
 “彼女”は何も答えない。
「ぼくだって、それが許されるなら、いつまでもきみの膝の上でゴロゴロしていたいさ。でもこのままこうしていると、ぼくはきみの猫になってしまうからね」
 ワルキューレは毎日毎日、尽きることのない食事と酒とで、ずっと英雄をもてなしてくれるという。
「誰も、あなたをとがめはしませんよ」
 その言葉には、以前ほどのパワーが感じられなかった。
「残念ながら、そうはいかないんだな。他の誰が許してくれても、世界で唯ひとり、つまりこのぼく自身が、自分を許せないんだ」
「やはり……そうでしたか」
 この日が来るのは分かっていた?
「竜宮城の乙姫は、自分の救い主を永久に引き留めようとして、この世の者ならざる快楽を提供しました。それでも浦島は、たった三日後には、そこを去ってしまった」
 その唇には、慣れ親しんだ“あきらめ”のようなものがあった。
「そうじゃない。それは浦島にとっては、三百年だったんだ」
「そうでしたね……」
 この見解の相違は、決して乗り越えることのできない、男女の間の溝なのだろうか?
「みんな必死に生きている。明日をも知れぬ命や寿命にさからうように、無情な弱肉強食の掟にしたがって。負けてはいられないさ」
 “彼女”は皮肉げに笑った。
「風は、目に見えないけれど、どこまでも流れている。捕まえてみようとしても、捕まえた瞬間、風は風じゃなくなる。そういうことですね」
 水平線の向こうまで続いている、青い穏やかな海に心を馳せながらも、“少年”はその言葉の意味を噛みしめた。
「そうだな。ここで何もせずダラダラしているのは、存在していないのと同じことだ。人間は、そして生物は、常に世界に干渉しようとする。それによって世の中は変わる。それはもしかしたら、悪い方向にかもしれない。でも充分な英知があれば、いい方向に向かって変えようと努力することはできる」
 “彼女”もまた、水平線の彼方を見ているようだった。
 “少年”は続けた。
「他の世界から隔離されたここにいる限り、ぼくは死んでいるのと同じなんだ。今は、まだいい。きみの笑顔はぼくの心の傷を癒してくれるし、ぼくはきみを、愛しい恋人のように慈しむことができる。けれどきっと、ぼくはやがてここを牢獄のように思い始め、引き留めるきみを恨むようになるだろう。それが理不尽なことと、わかっていても」
 自分のなかに、満たされぬ思いがあった。やるべきことを果たしていない。そんなイヤな感触が、首筋のあたりにつきまとっている。
「ここでこうしているぼくは、ぼくじゃない。ぼくは《He》の一部なんかじゃない。自分の名前ももう、思い出せなくなっている……けれど、それでも、ぼくはぼくなんだ」
「わかりました。お行きなさいな」
 “彼女”の視力のない目が、ぼくを正面から見つめる。泣きぼくろが、その笑みにはかない色を添えていた。
「引き留めることは、いたしません」
 そして視界にある全てのものが色褪せていく。波の音が遠ざかり、暖かい陽射しや柔らかな空気も消え失せ、いつしか象牙色の白い闇のなかで“彼女”と対峙する。
 その瞬間、魂が引き裂かれるような後悔が襲いかかって来た。全身の細胞のひとつひとつが、みずから選んだ“楽園からの追放”という選択に対して、不平をもらしている。それでも“少年”は笑顔でそれを噛み殺し、“彼女”に告げた。
「やるべきことを終えたら、必ずきみの元へ帰って来る」
「はい」
 “彼女”はその言葉を、信じて疑わない。
「でもそのときは、あなたが私を捜す番ですよ」
 それは老獪なメデューサではなく、心に痛みを抱えるただの少女の瞳だった。それは“少年”の魂の刻印され、いつまでもいつまでも残っていた。
 こうしてふたりは、再び別れたのである。

To Be Continued...

 

※冒頭の引用は、日経ナショナルジオグラフィック社の翻訳によるものです。

 

>>■Cluster1■(2006.07.10掲載)

※当サイト内の文章・画像・音楽など各種素材の無断転載・加工・再配布を禁止します
(C) Regista / GoodNavigate